プログラマーという職業は生き残れるか

プログラマー不要論の話題が業界の壁を越えて熱く議論される理由の一つが、生命との境界線を語られる時だ。医学の進んだ現在ですら、人は生命を無の状態から作り出せずにいる。もちろん倫理観にも関わるナーバスな部分だから、技術的な要素だけで作り出せないのかは不透明な領域だ。

一方で、システム構築に欠かせないプログラムを自動作成する試みは業界の内外でも進んでいる。つまり、無の状態から生み出された自己生成する事ができるプログラムを作り出せれば、プログラムは必要に応じて自己増殖し、自己滅亡すら可能になるのではないかと言う命題なのだ。つまり、人は自ら生命を作り出せるのか否かをも問題にしている。プログラミングを行うプログラマーの存在をもしもこの先、否定する事が出来たなら、人の英知が生命の神秘にまた一歩近づけたことを意味する。その一方で、プログラマーの必要性も根強く叫ばれているのも現状だ。

その理由としては、プログラムの自動作成はある一定条件下では可能だとしても、生まれた生命が成長し死ぬようなものには程遠いと指摘するのだ。現状ではその様な生命活動を擬似的であれ行うとすれば、幾度となくプログラムを書き直さなければ不可能になると言われる。この先、もしかするとプログラムは人の目に触れることなく、まるで本物の生命の成長までもを設計することが出来る時代を迎えるかもしれない。しかしそれは、紛れもなく人が神の領域に近づいたと言えるはずで、プログラマーの必要性を唱える立場からは否定的に見られている。プログラミングに関わる者からは、そんなプログラムを書いてみたいと思う反面、自身の立場を否定することにもつながる。